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最近思うことは、人と人が一緒にいるのは我慢することに如何に耐えれるか、ということ。

つまり夫婦なんてのは、どちらかが、もしくは二人が我慢をするからこそ成り立っているんだなってこと。

お互いがお互いの自我をさらけ出したら、その夫婦は破綻すると思う。

つまり、大人の関係ですね。

なんでそんなことを思うかというと、傍目から見たら理想の夫婦と思われていた二人が、実はそうではなく、片方の我慢で成り立っていた、という事実を目の当たりにしたから。

二人でいても寂しい。

この人は私のことを全然分かってくれない。

こう思っている妻に対して、夫は全く気付かない。

でも我慢のできる妻は、それを不満にも思わずやり過ごす。

他人の目には仲のよい夫婦に見える。

でも実は、妻が我慢しているだけ。

妻は年老いた時に、初めて本音を漏らす。

「私を分かってくれない夫がいても、私は寂しいだけ。」と…。

世の中の夫婦ってこんなものなのか。

っつっか、やはり我慢は大切です。

誰に対しても。

人に対して何も我慢しなければ、その人の周りには誰もいなくなるでしょう。

自業自得。

寂しい老後を覚悟で人の言うことに耳を傾けないのか、ひたすら我慢をしていい夫婦をのふりをして人生を全うするのか、どっちがいいのか…

身近にある二つの実例に考えさせられます。

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バレエを背景に心の闇を描くこの映画。

主人公の心の闇は様々。
プレッシャー、性に対する嫌悪感、欲求不満、嫉妬、焦り、母の過保護などなど…
その中でも一番重く心にのしかかっているのは、やはり母親の存在と思う。

ニナの着る服は少女のようなピンク、部屋にはぬいぐるみ。
いつまでも私の可愛い娘で居て欲しいと願う母に応えるようなその出で立ちや振る舞い。
母は娘にことあるごとに「スウィートガール」と呼びかける。
親離れ、子離れ出来ない母娘は、お互いになくてはならない存在であると同時に、心の底では憎しみ合っていたに違いない。

母は自分のキャリアを娘のために捨てたのだから、娘は自分の言いなりで当然と思っている。
しかし、娘はバレエにおいては自分のほうが上であると自覚している。
が故に、母を心の底では見下している。
母もプリマに抜擢された娘を誇らしく思う反面、悔しく妬ましい。

ニナの選んだ結末は、ねじれた親子関係にピリオドを打つためだったようにも思える。
が、その反面、やっと全てから開放された安堵感も感じられるのだ。

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観た感想を書いたにも関わらず、後から後からいろんなことに思いが及ぶ「愛を乞うひと」。

主人公の照恵は、娘もある程度成長してから、自分のルーツを探す。

父の遺骨探しと言いつつ、本当は母を探していた・・・と娘に言われるのだ。

最後に、実は生きていた母と対峙するシーン。

暴力母は、海沿いで小さな美容院を営んでいた。

母は今でも現役で働いている。

老いた母を原田美枝子が特殊メークで演じ、一人二役でのシーンが圧巻。

客を装い訪れた娘に気づくこともなく、無愛想に接客する母。

途中で母は娘に気づくのだが、決して自分からは声をかけない。

娘も名乗りはしないが、母が気づいていることに気づき、「私も昔、美容師になりたかった」

「それは唯一母が髪を梳くのが上手だと褒めてくれたから」とカマをかけるようなことを言う。

その言葉に動揺することもなく淡々と手を進め、最後に「二千円になります」とだけ言葉をかける。

最後に娘は決死の覚悟で母に声をかけようとするが、丁度その時、外から母の今の男が帰って来たため、声をかけそびれる。

このあたりの描き方が上手いな、と思いました。

原作通りかもしれないけど、母は美容師になっていた、という事実に驚いた。

娘が社会人になるまで夜の商売をしていた風だったのに、娘がとうとう逃げたあたりから改心したらしい。

だからと言って、性格が優しくなるはずはなく、そのまんま。

その描写がなんだかリアルで素晴らしいと思った。

娘は今でも母を思い続けていたのが、この再会で完全に母と訣別することを決める。

「あんな母に私はかわいいよ、って言って欲しかった」と言うと、その娘が「お母さん、

かわいいよ」と答えるシーンは号泣必至。




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今月は「ノバボサノバ」の星組、その2週間後に宙組公演を観た。

私が宝塚ファンだった頃なら、下級生に至るまでほとんどの人の顔と名前は知っていたのに、

今やトップさんの名前すら覚えられない。

それに観た公演が何組だったのかさえ分からない。

このような体たらくなのだが、やはり宝塚はいつ観ても楽しい。

あっという間に昔に戻れる。

私はそもそも気持ちはいつまでも乙女なんだけど(笑)、宝塚観ると余計乙女になる。

この前の公演を観たとき、客席にトップさん以下数名のジェンヌさん(今は生徒さんをこう呼ぶ)が来ていた。

男役は宝塚にいるときはあくまで男役なわけで、休日に他の組を観ていても男役。

その姿は「男でも女でもなく」と、リアルオスカル様です。

今更ながら感心いたしました。

そして久しぶりにポーっとなっちゃいました。

その人は、柚希礼音さんでした!

やっと覚えた。

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最近の休みの日は、予定がなければ一歩も家から出ないことが多い。

録画してた番組見たり、ソファーでそのまま寝たり。

ほんまに何もしない。

そんな訳で、今日は録画をしていた「愛を乞うひと」を観たわけです。

さっきの感想に書き忘れたんだけど、仲良し母娘に関して。

私自身と母とはそりが合わないんだけど、私と娘は仲良し親子なんですよ。

「愛を乞うひと」そのまんまの感じ。

豊子が私の母、照恵が私、深草が娘。

でもね、仲良し仲良し、って言うてられんのもせいぜい高校生までとちゃうんかな。

虐待した母とは違う優しい母になった照恵が、高校生の娘・深草と父の遺骨を捜しに台湾へ。

高校生だから、多少の反抗期もあるけど、基本仲良しの照恵と深草。

あれって高校生だから良かったんだろうね、きっと。

半分子供で半分大人だから。

大人になってしまうと、親であっても容赦ないから。

私は最近、娘が自立しつつあって嬉しい反面、寂しい気持ちもある。

それに家のことは何もしないのに、口だけ達者になる娘に苛立ちも覚える。

この前、母の付き添いで出かけたときに、母の車椅子を押した。

私も、この性格が最悪な母親を、映画の照恵が思ってたように「かわいいよ」などと優しい言葉を

期待していたのかもしれない。

でも映画と同様、「私の母は死にました」と思うようにしようと、その日強く思った。

母と娘だからといって、全てが許される訳ではない。

親しき仲にも礼儀ありだ。

車椅子を押している私に対して横暴極まりない態度。

感謝の念も全くない。

自分の子供は、いつまでたっても子供であり所有物。

対等の人間として見ようとしない。

ここ数年、自分の気にいらない人を自分の周りから遠ざけた結果、我慢が出来なくなっている。

あ、それは以前からそうか。

自分が心地いい生活ばかりしてると脳は退化するらしい。

適度の緊張感を持って生きないと。

脳に刺激を与えないと。

今更元気になられても困りますけどね。

つまりは、親しき仲にも礼儀あり、親子は他人の始まり、ってこと。

仲良し親子でも、いつまでもそれに依存しないで生きないと。

本当にこれからが第2、ではなく第3の人生だと思う。

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